いのちの星 地球 ogotama Bon apeetit en 2023 ②
ヨガ哲学 その1
ただいまヨガに夢中です。
今まで体を動かすことが大の苦手だった私ですが、保育園に通い出した6年前、体力強化が必須であると自覚。偶然近所にヨガスタジオがオープンしたので、トライアル参加してみました。
はじめての1時間レッスン後の爽快感は忘れがたく、以降飽くことなく続けています。
大学を卒業以来、体も心も喜ぶようなご馳走を老若男女に届けたくて、「体と心の栄養作り」をライフワークと定めて邁進してきました。「誰にも覆されぬ信念」ということは紛れもないのだけれど、実際のところ「体と心の栄養」って非常に漠然としていて、つかみ所がなく、しかも多岐に渡るもの。職業として確立する目処も一向に立ちゆかず、ずーっといばら道を歩いてきました。
ヨガに出会い、やっとそのパズルのピースがはまった感覚を得ることが出来ました。
ヨガはマットの上でポーズを取ったり、呼吸法を実践したりするだけではないのです。日常生活において、ひいては人生に於いて自分も他者も傷つけず、自分自身を純粋な状態に近づけて、しあわせにするもの。
ヨガの奥深さは、ひと言では言い表せず、またビギナーの私には人様に語り伝える術がまだ足りず、またいつの日か改めたいと思います。
今日は一つだけ、「アヒムサ」について書きたいと思います。
ヨガの教えを記した書物「ヨガスートラ」の八支則(2章27節)は名の通り、8つの教えが記され、順に行っていくことで心と体を健やかにし、自己を成長させていくステップです。最初の教え「ヤマ」は日常背活で避けるべき5つの教えが記されています。
冒頭がアヒムサ。非暴力です。
暴力は振るわない。自分にも、相手にも。自分の心の中にも、言葉の中でも、行動の中でも。
最初はヨガレッスンの中で「アヒムサ」という言葉を知りました。ヨガのポーズ中、いつも先生が優しく声をかけてくれます。「無理していませんか?体のどこかで痛いところがあれば、無理をせずに一つ前のポーズに戻りましょう。」
いつしか、日常の中で自分に声をかけてあげられるようになりました。「今、無理して頑張り過ぎていないかな?」とか、ある時は「本当は頑張りたいのに、我慢して行動制限していないかな?」とか。自分の乱れた呼吸にも気付けるようになりました。そして自分が自分に暴力を振るっていることに気付けたら、「アヒムサ・アヒムサ!」と呪文のように唱えて、きっぱりと止めることが出来るようになりました。
もちろん他者にも。人にはもちろん、食材の一つ一つや、水やガスなどにも。
今日たんぽぽ食堂のキッチンで料理していて、蓋なしのお鍋にお湯がジャンジャカ沸いていることに気付きました。お湯が無駄にどんどん蒸発していく、ガスも無駄に使われてかわいそう。あ、私、彼らにひどい暴力をふるっている。これ以上は止めて、即、お野菜のゆでものに取りかかろう。
一時が万事、そんな感じ。ヨガに出合ったことで、「今自分がアヒムサ出来ているかな」と、瞬時に判断し、ほんの些細なことですが、よりよい行動を選べるようになりました。
身近な人々と、「アヒムサ」習慣が定着したら、自分にとっても、相手にとっても、周りの環境にとっても、みんなが嬉しく、随分居心地良く共存出来るようになるのではないかしら?
「ahiṃsā・ahiṃsā!」。さて自分の明日のために、そろそろ眠ることにいたします。本日はこれにて、おやすみなさい。