9月新月に私の大切な想い出を書こうと思いながら、あれよあれよと時が過ぎて1週間後には10月新月。昔も今も、熟すのが極めて遅い私です。
私は昔、「おばかちゃん」でした。二つ上の姉がいるのですが、姉は聡明で3歳の時、既に1人で『星の王子さま』を音読し、読み聞かせて周囲を魅了していました。さらには幼稚園の時、「たんぽぽのしゅんぽちゃん」という愛くるしい創作絵本を作って、晴れ晴れしく読み上げては喝采を浴びていました。我が家の輝かしい逸話です。
それに引き換え私は・・・、母親の読み聞かせに関心を示さずにお絵かきを始めてしまう。「書くのが好きなら、字を教えましょう」と、鉛筆を正しく持って姿勢良く座って自分の名前が書けるようにと指導してくれるのですが、それは気に食わないと大切なお話の本にガーっと殴り書きしてしまい、母と取り合いになって本を破いてしまう・・・。そんな悲惨な状態。我が家では「本当に困った子」の扱いでした。
私も本当はお話が大好きでした。1人、お仏壇のある四畳半の部屋に身を潜め、押し入れに並ぶレコードの中から「お話の小箱」を選んで、針を落としてはワクワクどきどき!!臨場感たっぷりの女性の語りです。3つの願い事が叶うソーセージのお話や、長靴をはいた猫など、飽くことなく聴き、今でもその効果音までが蘇ってくるほど。
ついでに言うと同時期、音楽も大好きで、ムソログスキーの展覧会の絵、ベートーヴェンの田園、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲など、名も知らず、1人で聞き惚れて、音の中に溺れてうっとりしていました。音楽もしかりで、その濃密さを今も思い出せるほど鮮明。感性がちっとも変わっておらず、自分でもおかしくて涙が滲みます。
さて本題です。小学2年生夏の終わり、夏休みの宿題で、生まれて初めて感想文なるものを書きました。
課題図書は『ふしぎなかぎばあさん』手島悠介・作 岡本颯子・絵
初めて1人で読み通した本、それはわくわくする不思議な世界でした。
鍵っ子の広一が冬の寒空の下、鍵を無くして途方に暮れ、雪が降り始めた公園のつつじのしげみにおしっこをしていると・・・。広一に声をかけたのが、ふしぎなかぎばあさん。お団子髪にぷっくりほっぺのニコニコ顔のおばあさんは、まるで私の”大阪のおばちゃん”に瓜二つ!(私の祖母の長姉・志村春江さんのこと。大阪で長年日赤の看護師として活躍していたそう。退職後に数回遊びに来て、私たち姉妹の面倒を見てくれました)
ふしぎなかぎばあさんは、黒い鞄の中から鍵の束を取り出して、団地の部屋の鍵を開けてくれました。そして黒い鞄から次々に品を取り出して広一を楽しませせるのです。紙芝居で広一をくつろがせたり、愉快な歌を歌いながら、ポークソテーを作ってくれたり、広一の心の悩みを言い当てたり・・・。かぎばあさんは本当にステキ。冒頭の広一の不安な気持ちが痛いほどに分かるし、かぎばあさんに出会ってからの摩訶不思議な展開に心底魅了されてしまい、思いが散り散りの私。言葉で上手に表現できない私が、初めての文章にまとめられようはずがありません。
二学期は目前、本日中に仕上げないと今日の晩ご飯は食べられぬほど逼迫した状況の中、いつまで経っても原稿用紙は白紙です。
途方に暮れた私は母に相談し、励まされながら気持ちを整理し、最大限の時間を使って拙いながらも自分の気持ちをまとめて書き上げました。
母に見せると、早速添削が始まりました。
最初の見せ場「つつじのしげみにおしっこ」で、雪が溶けていく様子にすっかり引き込まれしまったと書いたのですが、即削除。次々に修正し、母は私に書き直しを命じました。私の書き尽くせぬ散り散りの思いは消え、きれいさっぱり整った母作の感想文が仕上がり提出しました。そして後日学校の先生に「よく書けた」と、大変褒められました。
そんな訳で私にとっての最初の作文は、大失敗に終わったほろ苦い想い出。
その後幸い、複数の先生を通じて、書くことの楽しさを学んでいきました。
小学校5・6年を担任してくれた荻野洋子先生には、交換日記を通じて、「散り散りの思い」を「散り散りのまま」で言葉にさせてもらい、受け止めてもらいました。(*「わたしの夢」は荻野先生の下で書いた作文。)
中高時代は国語の平石先生、入倉先生に随分と鍛えられ、文章を書く喜びに出合わせてもらいました。
そして社会人になって初年度、料理編集プロダクション「エディターズ」に勤務し、夏頃から視覚障害者のためのテレフォンサービスの料理原稿800字(月2本)を担当させてもらいました。いつもあれこれ書きたくて、迷い迷いの気持ちが散り散り。秋のとある日、金木犀が香り始めたことを織り込んで文章を書いたら、ボスの岸 朝子さんがたばこの煙をぷわ~と吐きながら、「あなたの文章に、景色が見えるわ。いいわね。」とOKいただいたことに安堵し、これから私らしく、風や匂いを運ぶ料理原稿を書いていこうと強く決意しました。
そのまま原稿書きの道に突き進めばよかろうもの、その頃、2,3度テレフォンサービスに電話をかけて、自分の原稿を確かめてしまいました。機械的な音声に納得がゆかず、「いつか自作の原稿を自分で読もう。さらには料理レシピも本から参照するのではなく、自分で旬の料理を作れる人になろう」と決意しました。そんな訳もあって、長いなが~い遠回りをして今に至ります。
最近偶然に、大学受験に向けて提出する高三男子の小論文を読む機会を得ました。確かに文章がほんのわずか、つじつまが合わずに推敲が必要でした。彼の母親は、彼を合格へ導きたい一心で赤ペンを入れていました。それを客観的に見たことで、はたと両者の齟齬に気付いたのです。いくら親であっても、他人が直してはいけないのだと。アドバイスすることは良いけれど、直すも直さぬも本人次第。そして本人が本気になって推敲を終えたとき、その人ならではの唯一無二の至極の文章が生まれるのだと。
至極当たり前のことですが、自分の思いを言葉にして書くことは、「自分を形として露わにすること」と今は、はっきりと分かります。だからこそ難しいし、生半可の気持ちでは書き上げられない。あまりの大仕事で時に投げ出したくなってしまう。
でもそれを承知の上で、私はこれからは何者にも邪魔されず、間違いを恐れずに自分の言葉で書いていきたい。下書きさえ、AIにも、人にも頼りたくない。ならば、時間を惜しまず自分の気持ちを納得がいくまで整理しなくてはいけないな・・・。
残り少なくなってしまった人生です。これからは、今度こそ「書くための時間」を大切にして磨きをかけていきます。優しく、温かな空気を運ぶ文章を書き続け、音読してみなさまにお届けしていけたらと思います。これからもご愛読・ご愛聴いただけましたら幸いです。
10月下弦の月に
追記:今回久しぶりに「ふしぎなかぎばあさん」を読んでみたところ、やはり昔と同じ気持ちが蘇ってきました。本書の五年後には続編「かぎばあさんの魔法のかぎ」が書かれており、後にシリーズ化されて全20冊となっていたことを知りました。手島悠介さんは台湾高雄生まれの日本人で、終戦の翌年11歳で東京に引きあげてきたとのこと(2020年85歳没)。戦争に関する物語を多く残していたことも知りました。今更ながらですが、読み進めてみるつもりです。
私は密かに、メリーポビンズの和製版「ふしぎなかぎばあさん」のようなナニーになりたいと思っています♪