母に抱かれて、生まれて初めて桜を見た時、自ら手を伸ばして口に入れようとしている写真が残っています。
大変なおじいちゃん子で、よくお膝の中で鱈ちりや、タタミイワシなどの大人の味をお味見してました。姉と3人で町へ行き、帰りは馴染みのラーメン店へ。私はそこでレンゲですくって食べるワンタンが大好きでした。ヒラヒラと雲のようにたなびく「雲呑」をレンゲですくって食す、その一連の行為に心底うっとり♪
この感覚、どなたか分かっていただけるでしょうか?まだ雲呑の由来も、れんげの生い立ちも知らなかったのですが、そこに無上の美しさを見出していました。「食べもの研究家」の芽が出たように思います。
優しかったおじいちゃんに、たった一度だけ、それは厳しく叱られたことがあります。家族6人の晩ご飯中、私の姿勢が崩れてちゃぶ台の上に肘をついたのです。すかさず右隣のおじいちゃんにピシャリとはたかれ、茶碗と箸が宙を舞って転がっていきました。大正生まれの祖父の時代、そのような厳しい躾だったのでしょうか?心身が凍り付いたあの恐怖は今も鮮明です。
秋になると父が庭のクルミを拾って割り、母が「木の実のケーキ」を焼く、そんな贅沢な子ども時代を過ごしました。1人の叔母は一緒にキッチンに立って料理を折々教えてくれ、いくつかのお料理の本と、私用のレシピノートをプレゼンをしてくれました。もう1人の叔母も料理上手で、春先に遊びに行った際、スミレの砂糖漬けを乗せたチョコレートケーキを作ってくれて、その季節を映し込んだ美しさにどぎまぎしたことを今も覚えています。
不思議な鍵ばあさん、ハイジ、大草原の小さな家・・・、大好きな絵本やドラマの中でも、特に食べものにまつわるシーンにワクワク♪ 好きすぎて中高時代、食の部分を抜粋してエッセイを書いたことを記憶しています(今思うと、まるでニューシネマパラダイスのFOOD版!)。
高校1年生の時、ひと夏カナダに行きました。ステイ先は「お料理上手で、一緒にお料理してもらえるお母さんがいるお家」とリクエストしたほど。当時日本になかったズッキーニに出会い、お母さんは育ちすぎた”おばけズッキーニ”をすりおろし、チョコレートケーキを焼いてくれました(レシピを大切に取っておいたのに、いつの間にか行方不明。残念‼)。帰国直前にはマーケットで材料と道具を仕入れ、もちろん現地新聞を持ち帰ることも忘れませんでした。帰国後カナダの国旗を模したメイプル型クッキーを焼き、お手紙を添え、新聞バッグに入れてお友達へ配りました(これぞ、「おごたま展ももよあめ」の元祖です)
「土から生まれる体と心の栄養を学ぼう」と志高く、農大に進学するも、学校で学ぶ栄養学は何故かピンとくる物が少なく(申し訳なくてこれは両親に口が裂けても言えぬこと)。所属していたオーケストラでチェロに出合って夢中になったり、お酒の味を覚えたり、馬事公苑で村上春樹を読みふけりながら緑と戯れ、シェイキーズ&ビールへはしごする学生時代でした。
ある時、経堂駅近くに小さな児童書専門店を見つけ、そこで人生のライフワークなる絵本「リーヌスくんのお料理教室」に出合います。食べもの研究家になって「食べものの本」を作り、子ども達に届けよう。このような教室を日本で開こう、子どもに愉しい料理時間をプレゼントしてあげようと、その考えに夢中になって今に至ります。
20代前半より、「体と心の栄養を老若何女にお届けする」ことを目的に「食べもの研究家」として出発、いろいろ挑戦しました。けれど人はそれを、「いいお遊びですね。ところでお仕事は何をされているのですか?」と言うのです。
他人様に「フザケヤガルナ、いつか見ていろ!これが私の仕事だぞ!」と心の奥に火を灯し、30歳目前、高齢者施設に栄養士として初めて就職しました。(以降略歴に譲る)
~前半おわり。明日後半へと続く~