早いもので2023年も残すところ58日となりました。今年1月3日の聞き書きです。年を越さぬ内に投稿します。みなさまも、どうぞ思い出深き素晴らしい日々をお過ごし下さい。
続・おごっそうの玉手箱⓪ 手塚満寿子さんをお訪ねして
去年の今頃のことだったでしょうか?突然、電話に「中澤典江の娘の手塚です。会いたくて、会いたくて~」とのショートメッセージが届いていました。手塚さんとは・・・⁇ お目にかかったことがあったかしら・・⁉ 懐かしの典江さんの記憶を、しばしたぐり寄せてみました。
2004年老人保健施設相川ケアセンターに栄養士として勤務していた際に、ご近所の中澤典江さんに出会い、すっかり意気投合。『おばあやんのおごっそう』制作時には沢山の興味深いお話を聞かせていただき、いくつものエピソードや写真を冊子に収めました。退職後も親しくしていただき、太巻きやお赤飯を直伝していただきました。私にとってかけがえのないおごっそうの師匠であり、四十近く離れた大切な”お茶のみ友達”になりました。
この『おばあやんのおごっそう』がきっかけで、2012年4月より山梨日日新聞にて「おごっそうの玉手箱」の連載を開始。真っ先に浮かんだのが典江さんの「エメラルド色のにんにくジャム」です。取材依頼の電話を入れたところ、既にお引っ越しされていて音信不通に。連絡先を知りたくて、人伝に聞いてみたものの、ついに叶わず連載終了。その後お亡くなりになっていたことを風の便りで知りました。
もう再会は叶わず、彼女の笑い声の記憶も薄らいでいた頃、冒頭の降って湧いたようなお嬢さんからのご連絡ー。思い切って電話をすると、「桂子さん、桂子さん。懐かしいわ~。年内にぜひ会いたいから、また電話するわね~」と旧知の仲のように話しかけてくれました。私はお嬢さんのことを全く思い出せなかったのですが、会う日を楽しみに待つことにしました。
大晦日の午前中、おせち作りの真っ只中に手塚満寿子さんから連絡が入り、今年1月3日の訪問を約束しました。手塚家の玄関脇に飾ってあったのが冒頭のお写真です。自分でもすっかり忘れていましたが、それはかつて私が撮影し、額に入れてお礼に贈ったもので、当初典江さん宅の玄関脇に飾ってありました。写真を見る度、典江さんから私の話を聞き、転居後も玄関脇に飾って大切にして下さっていたので、満寿子さんにとって私は旧知の仲だったのですって。
満寿子さんの話し方と笑い声が典江さんと瓜二つで、初対面ながらもすっかり打ち解けてお話を伺うことが出来ました。そして伝授してくださったのが「おかあちゃんのおむすび」。きゅっきゅと握りながら、笑ったり、涙したり・・・。思わずつられて、笑ったり、涙したり、そしてまた二人で大笑い。やわらかな陽の差す居間でお炬燵に足を入れて、所狭しと並ぶお茶請けをいただきながら、二人で何杯もお茶をおかわりして時を分かち合いました。
おかあちゃんのおむすび
【材 料】炊きたてのご飯、塩、味の素、海苔
【作り方】ご飯に、塩適宜、味の素少々を隠し味に加え、全体をさっくりと混ぜ、手水をつけながらきゅっきゅとむすぶ。食卓で海苔を巻いていただく。
※普通は手に塩をつけてむすぶが、最初にご飯全体に味をつけておくと味が均一となり間違いがない。人寄せ等で沢山のおむすびを作ってきた典江さんならではの工夫。
★おまけのお年玉・満寿子さんからいただいた山梨日日新聞新聞 2022.12.31★
満寿子さんは新聞を取っておらず、時たま買いに行くのだそう。大晦日午後に新聞を購入し、開いてみると、なんと先ほど話したばかりの私の名を「ひとこと」に発見し、びっくり&大喜びしたのだそう☺ 取材当日私にサプライズプレゼントしてくれました。
大晦日に「おごっそうの玉手箱」、今年始めに2004年の「おばあやんのおごっそう」が繋がり、お嬢さんの満寿子さんにおむすびを教わったことに、ちょっとした奇跡を感じました。心の奥に秘めていたことでしたが、「私は”この道”を歩いくのがベストなのだな」と深く思い至った瞬間でした。
こちらが、10年前の冬に書いた雨宮左智江さんの記事(山梨日日新聞より)